【“トットちゃん、日本の教育を憂う”という話】

【“トットちゃん、日本の教育を憂う”という話】

 

先日、日本骨盤臓器脱手術学会で黒柳徹子さんの講演を聞いた。

そこで、黒柳さんは日本の教育を憂いた。全く、同感である。

 

黒柳さんは、あるテレビ番組でアフリカのとても貧しい国の小学生と、

日本の小学生と中学生との意見交換会を生中継で行った。

 

日本の小学生が聞いた。

“いま、欲しいものは何ですか?”

きっと、”TVゲームとかスマホといった答えを予測しての質問であろう。

 

しかし、とても貧しい国の小学四年生の答えは

“インドとパキスタンが戦争をやめて欲しい

であった。

 

“…”

 

はたして、日本の小学生でインドとパキスタンが

戦争していることを知っている子供がどれだけいるだろうか?

 

続いて、

とても貧しいアフリカの小学生が、

日本の小学生と中学生に質問した。

“僕たちはとても貧乏でお金がないから、

大きくなったら学校に行けなくなります。”

“勉強を続けたいのだけど、どうしたらいいですか?

 

もちろん、

日本の小学生、そして中学生はモジモジしながら“沈黙”である。

 

さすがに、これは難しいと判断した黒柳さんは、

引率していた中学生の担任の先生にその質問を振ってみた。

 

そして、その担任の先生は答えた。

“日本では、小学校と中学校は義務教育なので行かないといけないルールです。”

 

“…”

 

これが、全国放送で流れたそうである。

日本人としてかなり恥ずかしい。

 

確かに、難しい問題で私も正しい答えはわからない。

 

しかし、それが教育現場のプロの言葉だと思うと、かなり寂しい。

 

かたや、今日の食べ物があるかどうかわからない貧しい国の子供たちが、

世界の平和を望み、勉強して未来を切り開く夢を見ている。

 

その一方で、豊かな国の子供たちは、

スマホ化した仮想世界で、課金し、武器を手に入れ、

敵を抹殺することに熱狂する。

そして、義務と化した勉強から逃げる。

 

貧しいアフリカでは人生を悲観して自殺する子供なんていない。

 

豊かな日本では人生を悲観して自殺する子供がいっぱいいる。

 

一体、どちらの子供達が健全なのだろうか?

 

こんな現状を知ると、“一体、日本の子供達はどうしちゃたんだ!”

と小言を言いたくなるが…。

 

実は、大人が先にそうなっただけの事である。

 

大人達の中で、インドとパキスタンが戦争していることを気にしている人がどれだけいるだろうか?

 

大人達の中で、勉強で人生が切り開けると本気で思っている人がどれだけいるだろうか?

 

大人達の中で、パチンコやゲームなんて時間の無駄だと思っている人がどれだけいるだろうか?

 

大人達の中で、描いた夢は必ず叶う、そして人生は本当に素晴らしいと信じている人がどれだけいるのだろうか?

 

子供達は、単なるスポンジだ。

 

大人達が垂れ流した高慢、物欲、妬み、憤怒、貪食、色欲、怠惰を全てきれいに吸収していく。

 

日本の子供達は素直にそれらを吸収したに過ぎない。

 

スワヒリ語で“トットちゃん”とは“子供達”という意味らしい。

 

日本との生放送を通じて、

 

きっと、アフリカの“トットちゃん”達は日本の教育を憂いたことであろう。